仏の雫(ほとけのしずく)第4話赤ワインが苦手で、ワイン知識ゼロの小生が「何とか赤ワインを美味しく飲めるようになりたい」と奮闘努力したワイン修行の初期体験記、第4回目である。小生にとって修行の旅は新しい発見の連続であり、思わぬ展開に身を任せ進んで行く。話のつながり上、第1回目(いつきクリニック一宮ブログ2019.9.17に掲載)から順に目を通していただければ幸いである。それでは旅の続きをご一緒に。8.ワインとコルク皆さんはワインのボトルを密閉しているコルクをご自身で開けたことはあるだろうか?またシャンパンなどスパークリングワインの炭酸ガス圧をワイヤーで閉じ込めたコルクを開けたことは?初めてワインのコルクを自分で開ける時は緊張し興奮するのは何故だろう。小生が生まれて初めてコルクを自身で開けたのは学生の頃だと記憶しているが、酒屋で買ってきた安ワインを、これまた何処で手に入れたか記憶にない、ハンドルにらせんの金属が付いただけの簡素なワインオープナーで開けた記憶がある。コルクの開け方もよく知らなかったがらせん金具をねじの様にコルクに差し込み、力任せに引き上げれば開くだろうと頑張ったが結構力がいる。挙句の果てにワインボトルを太ももで挟み込み、思い切りコルクを引き上げ抜栓した。それ以来いつもコルクを開けるときはどれぐらいの力で引き上げるのか、途中でコルクがちぎれないかとか、コルクの破片がボトルの中に落ちないかなど心配しながら開けたものだ。また初めて自宅でスパークリングワインのコルクを開けた時のことも思い出される。ガス圧で勢いよくコルクが飛び出すのが怖く、タオルでコルクを覆い恐る恐るコルクの栓を回して抜栓したことを思い出す。初めて自分で抜栓した時は嬉しくて、コルクをまるで宝物や記念品の様に保管しておいた。その内レストランでワインを飲む機会が訪れるたびにソムリエ(ソムリエール)がスマートにコルクを抜栓してグラスにワインをサーブしていく姿がとても格好よく憧れたものだ。やがて小生の赤ワイン修行が始まると、これまたほぼ二日に一本ワインボトルのコルクを抜栓するという厳しいデューティーが加わった。その頃には何とかソムリエの様にスマートにコルクを開けたい一心で、ソムリエナイフを購入し繰り返し練習したがなかなか上手くいかない。生まれつき両手親指のハンディキャップのため親指の関節が曲がらず、自由の利かない自分の手でソムリエの様に自在にナイフを操ることは無理だとあきらめた。それでも無骨にコルクを開け続け、色々な経験をした。コルクをひたすら抜栓することを繰り返し5年以上経過した頃、次第にソムリエナイフで抜栓を繰り返すことに疲れてきた小生はスクリューキャップのワインを探すようになった。スクリューキャップとはウィスキーや市販のボトル詰め飲料水によく採用されている、捻るだけで容易に開栓できる金属キャップである。ニュージーランド、オーストラリア、チリ、カリフォルニアなどのワインボトルに比較的よく使用されている。ほんの1-2秒で簡単に開栓でき、また再び栓を閉めてそのまま保存できる便利さもある。ソムリエ教本にはワインの保存や熟成についてもコルクと比べ遜色ないと書かれている。ワインの修行を始めた頃はスクリューキャップのワインは何だか安っぽく、抜栓するにも気分が上がらないため、面倒でもソムリエナイフでコルクを抜栓することに喜びを感じていたものだ。しかし5年も経つと便利さに負けてしまい、少なくとも日々の家飲みワインをリカーショップやスーパーで購入するときはスクリューキャップのワインを探すようになった。ただ現実的には店頭に並んでいるワインの9割以上はまだコルク使用のワインだ。そのため相変わらず面倒だと思いながらもソムリエナイフでコルクを抜栓する日々は続く・・・。とその時、ネットで電動コルクオープナーを発見。思わずマウスでポチリと購入。これがまた感動的なほど使い勝手がよく、5-10秒でホイホイとコルクを勝手に抜栓してくれる。しかも値段も手ごろ。ここ数年で小生のベストバイの一品となった。以後ソムリエナイフは引き出しに大事にしまい込み、電動コルクオープナーでホイホイと抜栓する楽ちんなワインライフを送っている。
9.ソムリエの所作の美しさをみて考えたことソムリエの所作について小生が思うところを少し触れてみたい。ソムリエがこれから抜栓するワインの確認と説明を行う。おもむろにソムリエナイフを取り出し、キャップシールを素早い手さばきで剥ぎ取り、コルクにスクリューをねじ込んでいく。どちらに傾くこともなくスクリューは真直ぐねじ込まれ、フックをボトルの口に固定し、スムーズにコルクが引き上げられる。9割方抜栓されたところで、コルクを手で握りゆっくり静かに残りのコルクを引き出す。コルクの状態を確かめ、内側の香りを嗅ぐ。問題なければワイングラスに適当な高さから注ぎ入れ、すべてのグラスに均等に分配する。コルクをキャップシールと一緒にテーブルの端に提示し、一礼してテーブルから離れる。この一連の所作の美しさに魅せられたものだ。ソムリエの所作を通して感じたことは、どの分野であれ、その道の仕事のプロが真剣に仕事に向き合う時、彼らの所作は美しいということだ。無駄を削ぎ落し、必要にして十分な動きは迅速でかつ正確であり、その仕事ぶりは見ていて美しい。かつて小生は心血管インターベンション治療(狭心症や心筋梗塞に対するカテーテルを用いた治療)を専門にしていた。この治療を始めた頃、今日ではインターベンションの世界では国際的にも有名な某施設で1年半に渡りカテーテル治療を学んだ。その時、その道の先輩たちが行う、無駄のない、正確で早い手技に魅せられ、早く自分も同じようになりたいと必死になって技術を習得する日々を送った。穿刺部の消毒、動静脈の穿刺、カテーテルの挿入と操作、ガイドワイヤー操作と病変の通過、血管内エコーによる評価、バルンやステント治療、カテーテル抜去と止血処置。これら一連の作業を無駄なく、正確かつ迅速に行うことは、分野こそ違えどもソムリエの美しい所作にも通ずるものだと思っている。ただソムリエの仕事と違うことは、想定外の状況変化が常に存在し、経験と知識を頼りにリアルタイムに状況判断し、対応を迫られることだ。常に美しい所作と思われる手技を目指していたが現実はなかなか思い通りにはいかないものだ。改めてプロの仕事人に共通する所作の美しさは、美しさを目指すのではなく、無駄のない正確で迅速な仕事ぶりが結果として美しい所作を生み出すのだと感じている。
10.赤ワインの熟成と劣化ソムリエは抜栓した後、必ずコルクの状態を確かめる。そしてコルクの香りを嗅ぐ。この動作はワインの状態が健全かどうか、このワインをお客様に提供して良いかどうかを検証するためである。小生も数多くのワインを自ら抜栓し、試していく中にはとても飲めたものではないワインにも出会うことがあった。あるリカーショップで購入した赤ワインは抜栓した瞬間から、ひどい臭気のためとても口にすることは出来なかった。それはまるで非常に酸味の強い酢と古い醤油を混ぜたような臭気であった。これは恐らく保存状態に重大な問題があり、ワインの酸化が進みすぎたことによる劣化であろうと思われた。また、コルクの香りにケミカルな異臭を感じることがあり、ブショネと呼ばれる。ブショネはコルクに残留した洗浄液がワインと反応し引き起こすワインの香りや味の劣化である。ブショネはすぐに分かるレベルから、なかなか気付きにくいレベルまで様々である。ワインの健全性や熟成による経年的な香りや味わいの変化は経験豊かなソムリエやワインラヴァーであれば正しく判断できると思う。小生はまだまだ修行の途中であり判断能力には自信がないが、それでも二日に一本程度の頻度で抜栓を繰り返していくうちにワインが健全かどうかは判断できるようになったと勝手に思い込んでいる。問題はワインの熟成による経年的な香りや味わいの変化を正しく評価できるかだ。赤ワインの熟成問題については改めて触れてみたいが、赤ワインは熟成が進み、飲み頃を過ぎた過熟成の時期にワインはゆっくりと劣化の過程を歩むことになる。そしてまたゆっくり劣化が進みつつある枯れゆくワインの味わいを楽しむようなマニアックなワイン愛好家もいる。小生は未経験であるが(恐らく将来も経験することはないが)、ボルドーやブルゴーニュの高級ワインは飲み頃を迎えるのに十数年、飲み頃のピークから飲み頃が過ぎるまで数十年かかると言われており、二十歳でワインに入門したとすれば、人生の半分以上をかけて熟成するワインと付き合っていくことになる・・・。気の長い話だ。
話が少しそれたが、小生が飲むようなワインは長期熟成に耐えないワインばかりなので、自宅のワインセラーに保管しておくうちに知らない間に飲み頃を逃し、劣化の過程にあるワインを後悔しながら飲んだ経験が少なくない。というか小生の怠慢でワインを寝かせると称して、ほったらかしにしていたワインを最近何本か飲んで期待を裏切られるという体験を繰り返している。赤ワインは消費期限の決まっていない生きた飲み物であるが、賞味期限は人それぞれが決める。これがワインの難しいところでもあり、楽しいところでもある。いかがでしたか。赤ワインが苦手で、ワイン知識ゼロの小生が「何とか赤ワインを美味しく飲めるようになりたい」と奮闘努力したワイン修行の初期体験記の第4話。今回はコルクのお話でした。宝物のようにしまっていた最初に抜栓したコルクは、いつの間にかどこかに消えてしまった。保管した人生の宝物のほとんど今では消え去っている。最近では保管するか迷ったら捨てることにしているが、今のところ大後悔したことはない。意外と人生でほんとうに必要なものは少ないのかな。でも思い出だけは大事に心に保管しておきたい。・・・いつまでも。
いつきクリニック一宮 医師 松下豊顯
仏の雫(ほとけのしずく)番外編
昨年の今頃、季節が夏から秋、そして急速に冬へと移り変わる頃、私は大病を患い職場から離脱した。「今後仕事に復帰することは無理かもしれない」、「もう仏の雫(ほとけのしずく)を執筆することもないかもしれない」と思っていた。幸い半年に渡る治療の結果、病気は寛解し(治癒ではない)、2022年6月下旬より仕事に復帰できた(詳しくは私の「闘病記」をご参照ください)。そして今年もこのように原稿を執筆する機会に巡り合えた。「仏の雫(ほとけのしずく)第4話」を書こうと思ったが、今年8月末に天国に召されたソラちゃん、私の良きパートナーの愛犬について今回は書いてみたいと思う。
涙の雫「ソラちゃんと過ごした日々」
この世の中は悲しみに溢れている。天災や戦争で多くの人々が苦しみ、命を奪われる。私たちの身近な日常生活の中で悲しみに遭遇することも数多くある。以前から不思議に思うことがある。他人の悲しみ、それも地球の反対側で起こっている人々の不幸や悲しみを、まるで自身や身内の不幸のように共感し、涙を流す人々がいる。国も違えば人種も違う他人の不幸に対しても自然と涙を流す人々の感性の高さに感銘させられると同時に、他人の悲しみを自分の悲しみのように共感し涙を流すことは自分にはできないと思っていた。
私は最近まで一匹の犬と生活していた。メスのチワワで名前を「ソラ」と言う。15年前のある日、家に帰ると一匹の仔犬がいるので驚いた。妻と娘が私に一言の相談もなく仔犬を買ってきたのだ。帰り道、空が青く美しかったので「ソラ」と名付けたという。ソラには尻尾がない。お母さんのおなかの中で兄弟姉妹に押しつぶされ尻尾の骨が丸く変形し、お団子のようになって生まれてきた。尻尾のないチワワに商品価値はないらしく、殺処分になる予定であったと聞いた。しかし顔が可愛いので、尻尾のないチワワとして半値でペットショップに出荷され、娘たちに拾われたという訳である。尻尾を振る代わりにお団子がお尻の上でピコピコ左右に動く様子が面白くも愛嬌がある。ソラのしつけや世話は妻と娘の役割で、私のやることは時々撫でて可愛がってやることであった。仔犬の頃は家の壁や家具をよくかじって妻に叱られていた。椅子やソファーに飛び乗ったり、家の中を全速力で駆け回ったりしてよく転んでいたことを覚えている。そのせいか膝蓋骨脱臼のため両膝の手術も受けた。時々妻と娘が散歩に連れ出していたが、ほとんど室内犬として育てられた。やがて娘が大学を出て、名古屋で就職してからは主に妻がソラの世話をし、その頃妻は自らも闘病生活を送っていた(詳しくは私の「闘病記 第6話」をご参照ください)。妻の病が進行するに従い、私が妻の世話をし、妻がソラの世話をする生活が続き、やがて妻が身の回りのことができなくなると、私が妻とソラの世話をすることになった。そして今から5年前、妻が亡くなり、ソラと私だけの生活が始まった。ちょうどソラが10歳、人間でいうと還暦に相当し、私と同じ還暦どうし、老々介護がこれから始まるとソラに話しかけた。ソラの活動も以前に比べ低下し、椅子やソファーに飛び乗ることはなくなった。それでも結構家の中を走るのでフローリングの床で滑り、ある時から右後ろ足がうまく運べず、3本足で跳ねながら歩くようになった。昔手術した右膝蓋骨が脱臼しており、どうするか悩んだ結果、保存的に経過をみることにした。幸い室内での歩行もなんとか頑張ってできるまで回復した。私はフローリングを滑りにくいペットコーティングに塗り替え、カーペットを敷いて滑りにくくしてあげた。いつの間にか私がコロコロでカーペットの掃除を始めると、ソラはフローリングをペロペロなめて掃除を手伝うのが日課になっていた。

妻が生きていた頃は、一日中ソラのそばには妻がいたが、週末以外は朝から夜までソラは一人でお留守番することになった。私が仕事や外出時、時々モニターでソラの様子を観察すると自分の寝床で寝ていることがほとんどであった。妻のしつけのおかげで、ソラの世話にあまり手はかからず、「ソラちゃんはスーパーウルトラおりこうちゃん」と毎日何回も褒めてあげた。ソラの世話をすることで妻を亡くした悲しみが随分癒されたと思う。私が昨年大病を患い、京都で入院生活をしていた3か月余は、名古屋の娘夫婦にソラを預かってもらったが、その後は再びソラと生活しながら、京都へ治療で通う生活を続けていた。そうしてソラと私だけの日々が5年を過ぎようとしていた今年の春頃より、ソラの呼吸回数が多いことが気がかりになった。ソラの呼吸は1分間に13-15回であり、犬も人間と大差がないものだと不思議に感心していた。しかし春頃から呼吸回数が20回を超え、腹ばいに伏せる時間が多くなった。6月上旬には変な咳嗽と水溶性のよだれを認め、呼吸回数も30回と頻呼吸となり、動物病院で心不全による肺水腫と診断された。ちょうど私が仕事に復帰する少し前のタイミングであり心配した。利尿剤等の注射と飲み薬により、数日で症状は改善したがソラも15歳、そろそろチワワの寿命を迎える時期でもあり、私が元気なうちに看取ってあげたいと考えるようにもなった。次第に食事の量も減ってきていたが、病状は横ばいのようにも思えた。8月末の夕方、私が外出中にスマホのモニターを確認したところソラが苦しそうに荒い呼吸を繰り返し、恐らく私の帰りを待っているのか玄関の方向をしきりに気にしている様子が見えたので、用事を済ませて急いで帰宅した。家に入ってすぐにソラに寄り添った。胸に両手を添えると、早い鼓動が伝わってくる。頻拍のためよくわからなかったが、やや不規則にも感じたので頻拍性の心房細動のため肺水腫が増悪したと考えた。横になれないのは人間でいう起坐呼吸の状態であろう。鼓動が落ち着くように祈りながらひたすら胸をさすってやった。人間と違って苦しそうな表情が一見して分からないが、身の置き所がないのか、右を向いたり、左を向いたり落ち着きがない。また、舌が真っ青で高度のチアノーゼ(低酸素状態)であることは一見して理解できた。この時、自分はこのままソラの最後を看取ることになると言い聞かせた。2時間ぐらいソラに寄り添った後、ソラが自分の寝床に移動しうつ伏せになったので、少しは落ち着いたのかと思い私も近くのソファーに横になった。もう0時をまわって日付は翌日に変わっていたが、今夜はソラの近くで休むことにした。1時間ほど過ぎ再び目が覚めた時、私が寝ているソファーの近くで先ほどよりさらに苦しそうな頻呼吸となり落ち着きがないソラの様子が見えた。また、胸をさすってあげようと両手をソラの胸に当てた時、先ほどよりもっと強い規則正しく早い鼓動が伝わり、今度は心室頻拍で肺水腫がさらに悪化したのだと思った。ずっとソラの胸に両手をあてながら最後に妻を看取った時のことを思い出した。呼吸困難の苦しみを和らげるため、鎮静剤を投与されていたが、高容量でも十分鎮静が効かず、最後の4-5時間は妻とともに自分にとっても辛くて苦しい時間が過ぎた。今、ソラが同じように呼吸困難で辛い時間を過ごしている。妻の時と同じように、「少しでも長く生きてほしい」という気持ちと「早く呼吸も心臓も止まってほしい」というアンビバレントな気持ちが交錯する。そしてしばらくした時、ソラは自分で腹ばいになったかと思うと、今までの荒い頻呼吸がゆっくりした呼吸に変化した。この時手を胸に当てると、あれだけ胸が張り裂けんばかりに拍動していた心臓の鼓動が伝わらなくなり、しばらくしてゆっくり不規則な鼓動が手に伝わってきた。心室頻拍は心室細動に移行し、今は最後の不規則な心筋の収縮が起こっていると理解した。やがて呼吸は止まり、鼓動も消え、天に召された。「ソラちゃん、よく頑張ったね。長い間ありがとう。これからはまたお母さんと一緒に遊べるね」と泣きながら話しかけた。妻を看取った時と同じように悲しみに堪えながらソラの体と寝床を綺麗に整えた。夜が明けてから近くのペットセレモニーに連絡した。葬儀は翌日の午前中になり、お花、生前の写真やお手紙など一緒に火葬できるものを持参してくださいと言われたので準備し、ソラに手紙も書いてあげた。
ソラちゃんへ お父さんより
「ソラちゃん。お母さんが亡くなった後、長年お父さんの心を癒してくれてありがとう。ソラちゃんと二人ぼっちの5年間の生活だったけど、お父さんは本当にソラちゃんが居てくれたおかげで頑張ってこれました。ソラちゃんは、スーパーウルトラおりこうちゃんだよ。ありがとう。これからは天国でお母さんと昔のように思う存分遊べるね。その内お父さんもそちらに行くからまた一緒に遊ぼうね。待っててね。
大好きなソラちゃんへ」

翌日10時にソラを葬儀場に運んだ。娘が以前よりソラの葬儀には立ち合いたいと言っていたが、ちょうど第一子の出産と重なり、結局葬儀は私ひとりが立ち合った。葬儀は静かに進行し、最後のお別れの時が来た。私が思っていたより立派な葬儀をしていただけたと思った。火葬までは瞳が乾燥しないように2時間ごとに目薬をさしてあげていたので、ソラの顔を見ていると今にも動き出しそうな錯覚に陥りながら最後の別れを惜しんだ。火葬が終わり、午後3時ごろにソラの遺骨を引き取った。自宅に戻った時、もう家に帰ってもだれも出迎えてくれる者がいなくなったと思うとまた悲しい気持ちになった。ただ居るだけで心が安らぎ、幸せにしてくれる存在。「存在の愛」と表現するのが適当か分からないが、ソラはそんな存在であった。ソラの遺骨は冬になったら庭の花壇に散骨し、遺骨の一部はカプセルに入れて薔薇の垣根の下に埋め、墓碑を建ててあげるつもりだ。今まで長年ソラがお世話になったトリミングショップと動物病院には長年のお礼も兼ねて、ソラが永眠したことをはがきで伝えたところ、すぐにお悔やみのお花を届けて頂き感謝の気持ちでいっぱいになった。トリミングショップのオーナーが直接自宅に立ち寄ってくださった時、オーナーのご主人も今年の春にお亡くなりになられたことを初めてお聞きした。この時不思議なことに急に悲しかった自分の経験がフラッシュバックのように現れ、自然と涙があふれた。
今まで自分の全く知らない他人の悲しみや苦しみに涙する人々の気持ちが分からないと思っていたが、この時初めて少し理解できたような気がした。
「涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の本当の味はわからない」(ゲーテ)
冒頭、人生は悲しみに溢れていると述べた。思えば還暦を迎えるころから悲しい出来事が続いた。妻との死別。昨年自身も大病を患い、絶望と苦しい時間を過ごした。そして今回妻が残し、生活を共にしてきた愛犬との別れ。しかし、どんな悲しみもやがては乗り越えなければならないものだ。妻が亡くなった時、私は墓碑にこう刻んだ。
「心穏やかに、いつも笑顔で生きる」
息子が結婚した2日後に妻が亡くなり、娘が出産した2日後にソラが亡くなった。今年3月には長男の第二子が、8月には長女の第一子が生まれ、今は三人の孫たちのお爺ちゃんにもなった。人生は悲しみだけではなく、喜びもまた巡ってくるものだ。悲しみも喜びも交錯しながら生きていく、人生とはそういうものだ。
「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きている資格がない」(レイモンド チャンドラー)
2022年10月 松下豊顯
仏の雫(ほとけのしずく)第3話
赤ワインが苦手で、ワイン知識ゼロの小生が「何とか赤ワインを美味しく飲めるようになりたい」と奮闘努力したワイン修行の初期体験記、第3回目である。小生にとって修行の旅は新しい発見の連続であり、思わぬ展開に身を任せ進んで行く。話のつながり上、第1回目(いつきクリニック一宮ブログ2019.9.17に掲載)から順に目を通していただければ幸いである。それでは旅の続きをご一緒に。
6.カベルネソーヴィニヨンとピノノワール
ワイン造りに使用されるブドウは、世界中でおよそ1500品種にも及ぶらしい。その中で赤ワインを代表する黒ブドウ品種を2つ挙げるとすれば、カベルネソーヴィニヨンとピノノワールを思い浮かべる人が多いと思う。どちらも赤ワインを代表する品種であるが、それぞれ個性があり、どちらを好むかは意見が分かれるところだ。ちなみに小生はどちらも大好きである(ただの飲んべえか?)。ブドウには土着品種と言われ、その地方固有のブドウが数多く存在し、そこから造られるワインの種類は多いが、その地域でしか流通しない。一方世界品種と言われ、世界中で栽培されているブドウ品種がある。世界品種はほとんどがフランスの各地方を代表するブドウ品種であり、「ワインの学習はフランスワインから始めよ」と言われるのは、フランスワインを学べば、世界中のワインが理解しやすいからである。
さて、フランスのワイン産地でボルドーとブルゴーニュと言う地名はワイン通でなくても聞いたことがあるだろう。それほど有名な2大ワイン産地だ。カベルネソーヴィニヨン(以下カベルネ)はボルドーを代表し、ピノノワール(以下ピノ)はブルゴーニュを代表するブドウ品種だ。この世界を代表する二つの産地、二種類のブドウ品種。その個性はどのように違うのか?
小生が赤ワイン修行の旅を始めたころ、この2品種の個性の違いを見事に言い当てた名言に出会い、甚く感動した。2009年に公開された日本映画だ。カリフォルニアワインを代表する産地であるナパヴァレーを舞台に、男女4人が織りなすコメディータッチの映画だ。タイトルは「サイドウェイズ」。「寄り道してこなかったオトナたちの物語、最短距離がベストの道のりとは限らない!」と言うキャッチコピーの物語。留学時代の友人の結婚式に出席するため、日本からカリフォルニアにやってきた冴えない中年男性の道雄(小日向文世)。独身最後の一週間を男二人でナパヴァレーを旅し、道雄はかつて心を寄せていた麻有子(鈴木京香)に運命的に再会する。冴えない中年男2人が繰り広げるほろ苦いラブストーリーでもある。2004年米国映画「サイドウェイ」のリメイク版であるが、細部は原作とかなり異なる。しかしナパヴァレーに広がるワイナリーの風景は共に、ワイン好きには心惹かれる映画だ。

ところでカリフォルニアワインやナパヴァレーの名声を世界に広めることになった歴史的事件があった。1976年の「パリ・テイスティング事件」である。別名「パリスの審判」。ギリシャ神話「パリスの審判」に重ね合わせて呼ばれるこの出来事はワインの歴史において、産業革命に匹敵する大事件と言われている。世界の最高峰に君臨するのはフランスワインであると自負するのは、自己愛の強いフランス人らしい主張だ。最も世界中のワイン愛好家も同意せざるを得なかった。1976年までは。
この年、フランスはパリでフランスとカリフォルニアを代表するワインを、フランスワイン会を代表する9人がブラインドテイスティング(ワインの銘柄を伏せて品質を競い合うこと)するイベントが開催された。誰もが圧倒的なフランスワインの優位を予測していた。しかしふたを開けてみると赤・白とも一位を獲得したのはカリフォルニアワインであった。フランス人の審査員達は「評価するには成熟期間が足りない。もっと長い年月熟成させればフランスワインが勝つ」と主張した。さらに10年間の熟成期間を経て、1986年再び同じ赤ワインでブラインドテイスティングが行われた。結果またもやカリフォルニアワインが勝利した。フランス以外の世界でも素晴らしいワインが造られることが証明された歴史的瞬間であった。「パリスの審判」については別の機会にまた詳しく触れたいが、ナパヴァレーのワインは「パリスの審判」で赤・白ともに一位に輝き、今や世界中に知れ渡る産地だ。
話を戻そう。道雄はワイン愛好家だ。麻有子は今やナパヴァレーのワイナリーで働くキャリアウーマンだ。麻有子はカベルネを愛飲し、道雄はピノを愛飲する。二人がカベルネとピノの違いについて意見を交わすシーンがある。「麻有子はどうしてカベルネが好き?」道雄が尋ねる。麻有子が答える。「どんな土地で造られてもカベルネはカベルネであることを主張してる。」道雄は言う。「それとは反対にピノはテロワールに大きく左右され、繊細で気難しい。そんなピノを上手くワインに仕立てることができたらどんなワインも太刀打ちできない。」ここで聞き慣れない言葉に出くわす。テロワールである。この言葉はワインの世界では極めて重要な言葉だ。テロワールとはブドウの木が育つ地域の土壌、地形、気候(気温、降水量、四季の変化、霧や風)、等々ブドウを育む自然環境全体を意味する言葉だ。しかし単なる自然環境を超えて、遥かに深い気持がこもった言葉であることがワイン生産者の言動から伝わる。ブドウの木は地中奥深くに根を伸ばし、養分を吸収する。土壌と言っても単に地表部の地質ではなく、何万年・何億年という地球の歴史の中で形成された地層の影響まで受け、ブドウの個性を形成する。ミネラル感の強いワインを飲むと、かつて海底であった土地のブドウから造られたことが想像できる。そのため同じブドウ品種を同じ生産者が育てても、畑が違うとブドウの味わい、すなわちワインの味わいは異なる。
さらに道雄は言う。「ピノはほかの品種とブレンドしない。美味くても不味くても他のブドウのせいにはしないんだ。」ブレンドとは複数のブドウ品種を混ぜてワインを造ることだ。カベルネは単独でも造られるが、しばしば他の品種とブレンドしてワインが造られる。ボルドーではメルローとブレンドされることが一般的だ。そしてブレンドされてもやはりカベルネはカベルネの存在を主張している。一方ピノがブレンドされたワインを見たことがない。もしピノがブレンドされたら、もはやピノの存在はないと思う。ちなみに小生がワインテイスティングの修行を始めたころ、カベルネとピノの味わいをどうイメージしたか。カベルネは「ブルーブラックのインク」、ピノは「森林に差し込む日の光で立ち上がる腐葉土の香り」である。今でもカベルネやピノを飲むときは、そんなイメージを探しながら飲んでいる。
さて「サイドウェイズ」のラストで道雄が麻有子に再会するためナパヴァレーに向けてマスタングを走らせるその時、麻有子のテレホンメッセージに残した言葉、「ピノノアールとカベルネソーヴィニヨン。二人の好みは違うけど、何を飲むかなんて重要じゃない。誰と飲むかが大切なんだ。」
7.薔薇と桜
世界中のワイナリーでは様々なブドウの木が育てられている。しかしブドウ畑にはブドウ以外のある植物が植えられている光景をよく目にする。日本のワイナリーを訪れた時、小生もその植物を幾度か目にした。その植物とは何か?・・・・・・
正解は薔薇である。いったい何故ブドウ畑に薔薇を植えるのであろうか?答えはこの章の最後に触れたい。この章では少し趣を変えて、ワインではなく、薔薇についてお話する。
ひょんなきっかけから小生、薔薇を育てることになった。初めて薔薇苗を購入したのが昨年(2020年)5月下旬。今から考えれば、梅雨と猛暑の夏を前にした最悪の時期に薔薇栽培を始めたものだ。薔薇を育てた経験や知識もなく、病害虫の世話や水遣りや何かと手間のかかる植物だという認識はあった。それ故、我が人生で薔薇を育てる姿など想像したこともなかった。今となってはルーチンワークとなったガーデニングも、特別興味があって始めたわけではない。長年、庭木や花の世話は妻の担当であった。しかし妻が他界した後、多忙に追われ庭木の世話もせず放任状態であった。
数か月たった秋のある日、何気に窓から庭の梅を眺めていた。その時枝の先に蜘蛛の巣が張っているのに気付いた。数日後に再び梅を眺めた時、蜘蛛の巣が拡大しているように思えた。さらに数日後蜘蛛の巣はさらに広がっていた。不審に思い、庭に出て梅の木に近寄ってみて初めて、それは蜘蛛ではなく毛虫の群生であることが分かった。白いレースのカーテンのような巣に、無数の毛虫がうごめく様子はおぞましい光景であった。驚いたその足で、すぐさまホームセンターに走り、毛虫対策用スプレーを購入し何とか駆除をした。その経験から庭木の管理も他人ごとでは済まされないと深く反省し、いやいやながら真剣に取り組むようになった。
翌年、梅の花が咲く頃、妻が寄せ植えに使っていた植木鉢が庭の片隅に積まれていることに気付いた。その時突然、何に血迷ったのか自分でも寄せ植えが造れそうな気分になり、ネットで寄せ植えの勉強を始めた。ホームセンターで花苗を購入し、見様見まねで寄せ植えを数鉢自作した。なかなかの出来栄えではないかと自画自賛したものの、ほとんどの株は冬に消滅した。ただ、今でも春に花を咲かせてくれる子がいる。

ところで我が家の庭には、隣家との境に木製のフェンスがある。フェンスの地上は初雪カズラがグランドカバーし、フェンス両端の柱を這い上がってくる。やがてフェンス全面をカバーし、隣家との目隠しの役割を期待していたのだが、一向にその気配がない。それなら別の植物をフェンスに誘引し、目隠しにしてしまえと思いついたのが薔薇である。

薔薇はとても育てるのに手間暇のかかる植物。途中で枯らしてしまう予感を感じつつ、得意のYouTubeで情報収集。多くの一般人YouTuberが薔薇栽培の動画をupしており、なんだか自分にもできる気がしてきた。それなりに苦労や失敗を重ねつつ、一年余り経過した現在、11種類の薔薇を何とか頑張って育てている。残念ながら一株ご臨終。小生が育て、最初に開花してくれた白薔薇のボレロがお亡くなりになられた。恐らく過労死だ。元々ひ弱な感じの株であったが、けなげに最初に花をつけてくれた。夏から秋にかけても頑張って次から次へと花を咲かせてくれた。その頃の小生は蕾が上がれば何とか咲かせて花を見たい一心であった。他の薔薇が枝葉を増やして成長していく中、ボレロは中々成長しない。逆に花を咲かせるたびに株が小さくなるような気がした。晩秋に最後の小さな一輪を付けた後、葉を落とし休眠期に入った。と思っていた。他の薔薇たちは翌春3月に新芽が芽吹いてきたが、ボレロは二度と芽吹くことはなかった。枝葉が充実していない小さな株は、花が咲くことで栄養が奪われ、株には大変な負荷がかかり、最悪枯れてしまうらしい。そんな知識も薔薇を栽培し1年以上過ぎて初めて学んだ。美しい花を少しでも楽しみたいと言う人間のエゴによって薔薇は枯れてしまう。薔薇は自分が枯れても花と種をつけて子孫を残そうとする。このような薔薇と人間の駆け引きが延々と繰り返されてきたのだ。




薔薇を育てるようになって、薔薇が数多くの植物の中にあって、特別の存在であることを実感するようになった。また、薔薇の花を眺めながら花の姿について色々思いを馳せることも多い。薔薇の花は美しい。また雑誌の写真で見る薔薇の群生は圧巻ともいえる美しさだ。しかし花の盛りは決して長くはない。次の新しい蕾が美しい花を咲かせることを繰り返えすが、それでもやがて株全体が盛りを過ぎ、茶色に変色した見苦しい(人間が勝手にそう思うだけであろうが)姿になってしまう。雑誌で見る薔薇の写真は最盛期の美しい薔薇ばかりだ。壁一面に咲き誇る薔薇の群生が枯れて茶色くなる時期の写真は見たことがない。案外、茶色に枯れた薔薇に覆われた姿も趣があるかもしれない。自分が育てた薔薇の移ろいゆく姿を眺めながら、桜の花のことを考えた。
名古屋には山崎川という桜並木の名所がある。小生が名古屋に住んでいた頃、4回引っ越しをした。いつも山崎川のすぐ近くに住んでいた。桜の花が近くにあり、窓から眺めることができた。薔薇と桜。どちらも美しい花だ。しかし花の在り方はずいぶん違う気がする。桜の花は満開になるや否や、いや、もしかしたら満開になる直前かもしれない瞬間から散り始める。花が散るのではない。花びらが散るのだ。散った花びらは絨毯のように地面を覆い、川面を覆う。花が咲いて美しく、花びらが散って美しい。次の瞬間散り始めることが分かっているからこそ、より満開の桜の美しさが際立っている。このような花の在り方は、桜だけのものであり、決して他の植物にはみられないものだ。そして桜の花が散る姿を見るたびにこの言葉を思い出す。・・・・・・・
「武士道というは(人のために)死ぬことと見つけたり」
最後に質問の答えを。「薔薇は病害虫の影響を受けやすい。薔薇の健康状態を観察することにより、ブドウの木を病害虫から守る」である。
いかがでしたか。赤ワインが苦手で、ワイン知識ゼロの小生が「何とか赤ワインを美味しく飲めるようになりたい」と奮闘努力したワイン修行の初期体験記の第3話。カベルネとピノの話は、ワインを飲まない人にはピンとこなかったかも。しかしワインを飲み始めた人には納得してもらえたのでは・・・。ワインラヴァーが一人でも増えてくれることを願いつつ、修行の旅はまだまだ続く。不定期ながら次回にこうご期待。
いつきクリニック一宮 医師 松下豊顯 
仏の雫 (ほとけのしずく) 第2話
赤ワインが苦手で、ワイン知識ゼロの小生が「何とか赤ワインを美味しく飲めるようになりたい」と奮闘努力したワイン修行の初期体験記、第2回目である。小生にとって修行の旅は新しい発見の連続であり、思わぬ展開に身を任せ進んで行く。話のつながり上、第1回目(いつきクリニック一宮ブログ2019.9.17に掲載)から順に目を通していただければ幸いである。それでは旅の続きをご一緒に。
4.マゾヒストなブドウたち

この体験記は赤ワイン修行の話であるが、ここでワインの素になるブドウに少し触れてみたい。ご存知のようにワインには白ワイン、赤ワイン、ロゼワインがある。白ワインは白ブドウから造られる。では赤ワインはといえば赤ブドウ、ではなく黒ブドウから造られる。ロゼの素も黒ブドウだ。ワイン用のブドウには大きく白ブドウと黒ブドウの木が存在する。白ブドウと黒ブドウの大きな違いはブドウの果皮の色だ。黒ブドウの皮には紫色の色素と共にタンニン、ポリフェノールなどの成分が多く存在し、その果皮の成分をしっかり抽出し造られたのが赤ワインである。
ここで質問を一つ。 「黒ブドウから白ワインを造ることができる」は○か×か。シャンパーニュの白(いわゆるシャンパンの白であるが、正確にはシャンパーニュ地方で造られるスパークリング白ワインを指す)はピノノワールとピノムニエ(共に黒ブドウ品種)とシャルドネ(白ブドウ品種)という3種類のブドウをブレンド、もしくは単独品種で造られる。黒ブドウのみから造られる白のシャンパーニュは「ブラン・ド・ノワール」と呼ばれる。フランス語でブランは白、ノワールは黒を意味するので、「黒から造った白」とでも訳せばいいのだろうか。したがって正解は○である。黒ブドウも果肉は白いため、なるべく果皮の成分を抽出しないように絞って発酵させれば白ワインができる。また、果皮の成分を適度に抽出すればロゼワインとなる。
ここでワイン用ブドウについて蘊蓄を語るつもりは全くなくが、もう少しお付き合い願いたい。ワイン用ブドウと、我々が普段よく目にする生食用ブドウとはそもそも品種が異なり、同じブドウでも生育環境や育て方が全く異なる。一般に野菜や果物は肥沃な土壌と高温多湿な環境でより良い果実に生育する。しかし、ワイン用ブドウは痩せた土壌で、どちらかというと雨量も少ない厳しい環境でこそ、凝縮した良い果実をつける。
小生が生まれて初めてワインブドウの木を目にしたのは、オーストリアのウィーンに学会出張した時のことだ。ドナウ川流域のバッハウ渓谷に立ち寄った時、ドナウ川の両側の山のほとんど断崖絶壁といえる斜面に一面にブドウの木が栽培されている光景に驚いた。ブドウ畑も散策したが、こんなところに木が育つものだと感心したことを思い出す。肥料も水も十分な環境で大きく育った果実は大味になりがちだ。厳しい環境であるほど、少しでも地中の水分や栄養分を求めて、深く根を降ろし、一生懸命子孫を残すため、結実させようとするブドウたちのけなげな姿。厳しい環境でも、必死に頑張れば凝縮した良い果実が生まれる現実は、人生訓にも通じる良い話ではないか。
あえて長々とブドウの木についてお話ししたのは小生が赤ワインの修行の過程で、ワインに対する感性を高めていく上で、ブドウがどのような環境で、どのような作り手により、どのような哲学のもとに作られたのかに思いを馳せることが重要であることに気付いたからである。
5. 今飲むべきワインは赤?白?ロゼ?
昼下がりの午後、まぶしい日差しに照らされ、潮風にあたりながら、南仏コート・ダ・ジュールの海辺のレストランにあなたは今、腰かけている(妄想するのは自由である)。地中海といえば新鮮な海鮮料理だ。日差しも強く、のども乾いた。海鮮料理を前にして、あなたはドリンクとして何をオーダーする?赤?白?ロゼ?・・・ビール!!・・・Yes!!!グッドチョイスです。
日差しのきつい昼下がりには水のように喉を潤してくれるドリンクがいいですよね。もちろん冷たい水でいいのだが、一応ワインのお話をすることになっている都合上、どういうワインを飲みたいか今一度考えてみよう。赤?白?ロゼ?・・・スパークリング!!・・・Yes!!!グッドチョイスです。普通スパークリングワインは白かロゼですね(赤のスパークリングはごく一部の例外を除き産生されない)。

ある地域の郷土料理に合うワインは、やはりその地域でよく飲まれているワインに決まっている。フランスには10のワイン産地があり、それぞれ栽培しているブドウやワインの造り方に特徴がある。南仏東部の地中海に近い地域はプロバンス地方と呼ばれ、ここで造られるワインの90%はロゼだ。あなたもきっと冷えたロゼワインを片手に海鮮料理を堪能しているんじゃないかな。でもちょっと待って。冷えた白ワインでもいいんじゃないの?いいんです!では赤ワインでは?・・・うーーーん。好きにしなさい。日差しのきつい暑い日に赤ワインは辛いものがあるけど。赤ワインをキンキンに冷やして飲めばいいんじゃない。あのね、それはもう赤ワインじゃなくて単なるアルコールぶどう飲料ですよ。ちなみに小生が最も怒れるワインのサーブのされ方は、小さなグラスにキンキンに冷えた赤ワインをなみなみ注がれて提供されることだ。大衆居酒屋ではよくある光景ではあるが。
話を元に戻そう。この地方で、魚介類に合うといわれる白ワインをなぜ造らない?その答えはプロバンスの気候にある。白ブドウの重要な特徴に酸とミネラルがある。きりっとした酸味と硬質なミネラル感はある意味白ワインの命でもある。良質な白ブドウを栽培するには比較的冷涼な気候が適している。
地中海に近いプロバンスの気候は温暖だ (いや、近年の地球温暖化によりむしろ熱い地方と言える)。したがって白ブドウの栽培より、温暖な気候を好む黒ブドウの栽培に適する。黒ブドウから造る赤ワインは渋みや、濃厚な果実味が魅力だ。すなわち白ワインに比べ相対的に重いワインだ。ところが暑い日差しの中、海鮮料理に合わせるには赤ワインは重すぎる。そこで彼らは考えた。「赤ワインがだめならロゼワインを造ればいいじゃない、マリーアントワネット」なのだ。すでに触れたように黒ブドウからロゼワインが作れるのだ。赤・白・ロゼと分類したが、ロゼワインは基本的に白ワインと考えていい。果皮の成分が多少含まれ、様々なピンク色で美しいワインだが、赤よりは圧倒的に白ワイン寄りだ。反論覚悟で申せば「ロゼは洒落た白ワイン」と小生は考えている。
長々と前置きしたが、ここでは赤ワイン、白ワインの飲むべきシチュエーションについてお話ししたい。どのような時に赤ワインを、あるいは白ワインを飲めばいいのか?結論を先に述べれば自分の好きに選択していい。小生自身、赤ワイン修行の初期にはどのような状況においても、かたくなに赤ワインだけを飲み続けていた。それこそ暑い日差しの中、海鮮料理に合わせてひたすら赤ワインを飲んでいたのだ。今はそのような飲み方はしないが、当時は自分で納得しながら赤ワインを楽しんでいた。しかしどんな分野においても、やはり基本というものがあり、基本を会得したうえで様々に独自の方向性を開拓していくものだ。
例えば音楽の世界、どんなに前衛的な楽曲を奏でていても一流のミュージシャンは必ずクラシックの基礎をしっかり積み上げているものだ。ワインの世界も、飲み方は個人の自由とは言え、やはり基本というものが存在する。世界中に様々な種類のアルコールが存在する中、ワインほど飲むときのシチュエーションにこだわる飲み物はないと思う。特に食事とのマッチングは重要で、人はそれを「ワインと食のマリアージュ(結婚)」と呼ぶ。
ワインを美味しく飲むために食事を選ぶのか、食事を美味しく食べるためにワインを選ぶのか。そんなことを考えていると「ワインつて本当に面倒な飲み物だ」と思うだろう。そのとおり!面倒な飲み物なのだ。だからこそ、ソムリエという専門家が職業として成立しているとも言える。
赤ワインは白ワインよりも相対的に重いワインだ。しかし、黒ブドウの品種や生産者の造り方により赤ワインであっても、軽くフルーティーなワインもある。同様に白ワインであっても白ブドウの品種や樽熟成を加えることにより濃厚で重い白ワインに造ることができる。基本的にはステーキのような濃厚な肉料理には重い赤ワインがマッチするし、新鮮な魚料理には白ワインがマッチする。しかし、軽い肉料理に白ワインを合わせてもよいし、濃厚な魚料理に赤ワインを合わせることも可能だ。また、甘いデザートには貴腐ワインのような甘いワインがマッチする。重い料理には重いワインを、軽い料理には軽いワインを。要するに似た者同士のマッチングを基本とすることは、人間の夫婦も似た者同士がベストカップルという真理に一致するか???
いかがでしたか。赤ワインが苦手で、ワイン知識ゼロの小生が「何とか赤ワインを美味しく飲めるようになりたい」と奮闘努力したワイン修行の初期体験記の第2話。小生にとって修行の旅は新しい発見の連続であり、思わぬ展開に身を任せ進んで行くのだが、今回はこれまで。不定期ながら次回にこうご期待。
いつきクリニック一宮 医師 松下豊顯 
仏の雫(ほとけのしずく)
はじまり
唐突であるが「フレンチパラドックス」という言葉をご存知でしょうか?
欧米では心筋梗塞による死亡率が非常に高いのは良く知られている。しかしフランスでは、脂っこい肉食やチーズ・バターの摂取が多いにもかかわらず心筋梗塞の死亡率が低い。これはフランス人が赤ワインを好んで飲み、赤ワインに含まれるポリフェノールが動脈硬化を予防すると考えられ、これを即ち「フレンチパラドックス」と言う。
その赤ワインであるが、私、お酒は結構好きな方だが、赤ワインだけは苦手で、美味しいと思って飲んだ記憶がない。そんな私があるきっかけで赤ワインの勉強(自分で「ワインの修行」と呼んでいる)を始めることになった。
今回は医学・医療の話ではなく、「赤ワインと私のかかわり」について話してみたい。
ワインに関して全く素人の私と赤ワイン修行の旅の珍道中。現在初期の体験記として随筆を執筆中。
「神の雫」というワインを題材とした有名な漫画ではイエスキリストの十二使徒にちなみ十二本の高級ワインが紹介されるが、自称ブディスト(仏教徒)の私は仏陀の十大弟子にちなみ、ワイン初学者なりに感銘を受けた十本の安旨赤ワインを独断と偏見でご紹介する旅に出発したい。それでは珍道中のはじまりはじまり。

1.ある夏の日
それは2011年6月も下旬、肌が汗ばむ初夏を迎えようとするある土曜日の午後の出来事であった。小生は缶ビールを求めて近くの酒量販店をふらついていた。
仕事から帰宅し、夕食時に缶ビール1缶を飲み干すことをささやかな楽しみにしてきた小生は、「ポルトガルから美味しいビールを入荷」という新聞のチラシ広告をある日発見した。早速そのビールをゲットするためにやって来たのだ。
お目当てのビールを買い物かごに放り込んだ後、店内をうろついていた時だ。何やら面白そうなビデオテープの声が聞こえてくるではないか。それも健康に関する話であるらしく、「認知症」が何やらかんたらと言っている。これは聞き捨てならぬと思い、その情報を精査せねばとモニターの前に陣取った。
どうやら情報のソースはテレビのあるニュース番組のようで、司会者が「赤ワインが認知症予防に効果がある」という医学的根拠を語っている。フレンチパラドックスとして知られるように、以前から赤ワインに含まれるポリフェノール(レスベラトロール)に抗動脈硬化作用があることは広く知られている。しかし、認知症予防にも効果があるという情報は初耳であった。
そういえば最近(以前からか?)物忘れが気になりだした小生は、赤ワインでも始めてみようかと一瞬思った。しかし次の瞬間ひるんでしまった。アルコールが嫌いではない小生はビール、日本酒、焼酎、ウィスキー、カクテルなどほとんどの酒は楽しんで飲んでいる。しかし、今日までワインを飲む機会は何回もあったが、正直なところ赤ワインを美味しいと思ったことは一度もなかった。
自分からワインを飲むなら白かロゼ、時にスパークリングという調子であった。またワイン通と呼ばれる人種は薀蓄を語りたがる自分とは別世界の人々であるという思いもあり、酒は楽しむものであり「赤ワインは」自分にはとうてい敷居が高すぎると断念した。
が、その時ふと内なる声が囁いた。子どもに「サイダーとビール、どちらが好きか」と尋ねたら、「サイダーが好き」と言うに決まっている。しかし大人になったとき同じ質問をすれば「ビールが好き」と答えるであろう。自分はワインに関して、まだ子どもではないだろうか。自分の味覚を鍛えればきっと赤ワインが美味しいと思えるようになるかもしれない。いや、そうであるに違いない。気が付けば我が買い物かごにはビールと赤ワイン2本が入っていた。
かくして、小生と赤ワインの修行の旅は始まった。
2.最初に買った赤ワインは・・・
小生がワインの修行のために初めて購入した2本の赤ワインについてお話ししたい。
お酒と名のつく飲料はあまたとあるが、ワインほど多種多様で、世界中で造られ、かつ製造年により味わいが異なる酒類はない。多様性はお値段についてもしかり。ワンコインで買えるものから、一本100万円以上するものまで(誰が買うのだろうか)、他の酒類では考えられない幅がある。
そんな多様なワインの中から小生が選んだ2本のワイン。ワイン知識ゼロの小生が選ぶワインは当然「安くて美味しいワイン」である。といっても自分で選ぶ能力なし。ひたすらワインのキャッチコピーとお値段のにらめっこ。
30分ぐらい熟慮の末、結局購入したのは「ワンコインで買える金賞ワイン」の言葉につられて買った500円台の南アフリカ産赤ワイン。南アフリカでもワインが造られていることを初めて知る。もう1本は「ハリウッドスターのトムクルーズも自家用ジェットで買いに来るワイナリー」というキャッチコピーにつられ、南フランス産赤ワインを1000円程度で購入。2本でしめて1500円程度の出費は高いのか安いのかも分からず、「ビールだと何本買えたかな」などと思いながらレジを済ませ店を出た。
帰宅後、早速南アフリカのワインを抜栓し、家にあったワイングラスに注ぐ。後に、ワインにとって香りの要素がいかに重要かを知ることになるが、この時は香りも気にせず一口含み、しばらくしてゆっくり飲み込んだ。「・・・」、「・・・うーーん・・・。美味しくない。」気を取り直してゆっくりグラスの残りを飲み干した。「・・・、何とか美味しいと思いたいのだが・・・」。「金賞ワイン」の言葉に少しは期待したが、やはり現実は厳しいか。
その後、泣きながらボトル半分のワインを飲み、残りの半分は明日再チャレンジすることにした。ワインのフルボトルは750mlである。我が家では小生しかアルコールを飲まないため、この日からおよそ二日に1本のペースでワインを飲むという厳しい修行が始まり、現在もその修行は続いている。
さて、翌日残りのワインを飲んでみたが印象は変わりなく、ちょっと残念な気持ちで1本目の修行を終えた。その翌日、南フランス産の2本目を抜栓し、リベンジをはかる。ゆっくり口に含み、しばらくして飲み込んだ。「・・・うーん。・・・1本目のワインより少しはいいかも・・・。」しかし、美味しいと感じるにはほど遠く前途多難なワイン修行の旅を予感させる出発となった。
3.ワインは化ける
旅には地図が必要だ。ワイン修行の旅もしかり。早速書店に走り、ワイン初学者のためのガイドブックを購入した。最初の数か月で10冊程度のワイン関連書籍を読んだであろうか。その中で、非常に勉強になった2冊を紹介したい。
まず、漫画家の弘兼憲史著「知識ゼロからのワイン入門」。まさしくワイン知識ゼロの小生にとってぴったりのガイドブックではないか。ワインの基礎知識のみならず、かなり奥深い内容まで初学者にもわかりやすく、小生のワイン修行の基礎を鍛えてくれた書籍である。
もう1冊はワインジャーナリストの葉山考太郎著「四大帝王を直撃!偏愛ワイン録」である。かなりマニアックな内容ながら、著者のユーモアあふれる語り口のため初学者にも読みやすい。ワインを取り巻く社会の仕組みを理解する上にも格好の書籍だ。
たかがお酒の一つに過ぎないワイン。楽しむのに理屈や知識は必要ないと多くの人は考えるだろうし、小生もそのように考えていた。しかし、それが誤りであったことを修行の中で繰り返し経験することになる。確かに何をどのように飲食しようが、本人が美味しいと感じ、満足している限りにおいて、その人にとってそれが最高の価値であることは間違いない。
しかし、高級な霜降り肉をフライパンでベーコンのようにカリカリに焦がして、「この肉は美味しい」と言いながら食べている人に出会ったとしよう。「本人が満足ならば」と思いつつも、「人間のために自らが霜降り肉となり、身を捧げてくれた牛さんが成仏できないかも」と考えるのは小生だけだろうか。ブドウの木も生き物であれば、ブドウをアルコールと炭酸ガスに変え(発酵)、ワインを造ってくれる酵母も生き物である。できれば美味しく飲んであげた方が彼らもきっと浮かばれるはず。
最初に学んだことは「ワインの魅力を引き出すには、適したワイングラスを選択せよ」であった。
それまで小ぶりのワイングラスしか自宅にはなかったので、一念発起しワインラヴァーには定番グラスと言われる、リーデル社製のワイングラス2脚をアマゾンで取り寄せた。今までのワイングラスと比べかなり大型である。グラスどうしを、乾杯よろしく軽くタッチさせた。「ごーーーん」とまるで梵鐘のような響きが心地よい。グラスは大きいが、厚みが薄いためよく響く。グラスにワインを注ぎ、ゆっくりグラスを回しながらワインを撹拌し、香りを感じる。これが同じワインかと衝撃を受けた。グラスによってこれほど薫り方が違うのかということ、ワインにとって香りの要素がどれほど重要であるかということを思い知らされた瞬間であった。
抜栓直後のワインはそれまでほとんど空気と触れない状態で眠りについているため、空気と触れあった瞬間からワインに変化が始まり、これをまるで花が開花するように「ワインが開く」と表現する。ワインの中に閉じ込められていた様々な成分が、香りとして立ち昇り、ソムリエたちは果物や花や鉱物などに例えて表現するのだが話が難しくなるのでこの辺でやめておく。
大きめのグラスはワインと空気との接触面が広く、香りをため込むスペースも広いため、ワインの魅力を大いに引き出してくれる。最悪の飲み方は、小ぶりのグラスになみなみワインを注ぐことだ(シャンパーニュのようなスパークリングワインは、なみなみ注ぐこともある)。ワインにより香りの質も様々であるが、いずれにしてもワインの良い要素をうまく引き出すために、いかにグラスが重要かということだ。これからワインを始める方には、ぜひワイングラスには初期投資されることを強くお勧めする。
ただ大型のワイングラスは洗浄と収納場所に困るものだ。大きさの割にガラスが薄いため、ワイングラスだけは自分で洗うことにしていたが、ある夜うかつにもグラスをシンクに置いたまま寝てしまった。翌朝カミさんに見事に割られてしまっていた。それ以来、ワイングラスは必ず自分で洗浄し、拭いて片付けることを欠かしたことはない。
赤ワインが苦手で、ワイン知識ゼロの小生が「何とか赤ワインを美味しく飲めるようになりたい」と奮闘努力したワイン修行の初期体験記。小生にとって修行の旅は新しい発見の連続であり、思わぬ展開に身を任せ進んで行くのだが、今回はこれまで。不定期ながら次回にこうご期待。

いつきクリニック一宮 医師 松下豊顯